2011年7月23日

やりたいことがあるならば・・・

兎に角思う存分やってみる。
一人でも、仲間とでも、家族とでも兎に角やってみる。

人がやりたいと思う事に大小は無く、何かに畏まる必要もない。

そして第1歩を踏み出し成果が出たときどんな結果であれ、そこには喜びがある。

2011年7月22日

適当すぎる人間の行く末は…

どうなってしまうのか。
そもそも何が適当で何が適当でないのか。
さも適当がダメだと言うと、ではお前は完璧かと言い返す
屁理屈論者が居るが抑々ここで言う適当とはそういうことではない。

なんでもかんでも適当がダメかというと、そうでもないことは多々有る。
そんなことは一般的に育ち普通に過ごしてきた者であれば誰しも理解
していることであるし、それは何か?とこんなとこで例を出すまでもない。

ただ、物事には順序というものがある。

しかしこの順序というものが分からない人も実際居るのだ。
順序は規律にも似ているところがあり、これを乱せば当然不愉快な
思いをする人が必ず出てくる。この不愉快という感情は至極当然な
反応であり、一般的に言う所謂「常識」というやつだ。

大抵このての順序や規律といった当たり前の常識を平気で疎かにする
人ってのは何かに生き急いでるというか一発逆転的な発想しか持ち合
わせていない、自分の力量を過信し経験も無いのに自信に満ち溢れ、
平気で人を無情にも見下し、実は自分自身を自分で何も分っていない
哀れな人が殆どだ。

だが逆転して良く捉えられる部分もあったりする。
ではどんなところが良いところかってのはここで書くことはしない。

形式的なものにだけ満足するならば勝手に満足していればいい。
しかしそんなことにだけ満足していれば他人に蓋を開けられたとき失う
ものは多くあるだろう。

人というのは、毅然とした行動、思いやり、言動で判断することが殆どだ。
確かにビジネスとしては結果というものが無ければ評価もされないという
ことはあるだろう。しかしビジネスもプライベートでも何をするにあっても
全てにおいて基本は人間であるということが大前提。

人間力の無い、色も味も無い人間に同じ人は魅力を感じるかわけが無い。
少なくとも俺は感じない。

小さなことでも長くそれで過ごしてしまえば・・・まさに塵も積もれば山となる。

適当すぎる人間の行く末は、周囲から大切な人達が1人2人といずれ消え
ていってしまい気付いた時には1人になって本当の哀しみを味わうだろう。

2011年7月20日

食について責めるべき相手は

国だけではない。
今この国にとって原発問題がどれだけ深刻な問題
なのかを国に対していつまでも国民が文句を言って
気晴らしをしている場合ではない。
この原発による災害によって想像を超える数の同じ
日本国民が職を失い又は失いかけて必死に活動、
行動を起こしていることだろう。
むしろこの必死さが最も恐ろしく感じる部分でもある。

なんでもかんでも国のせいにして自分たちが生き延
びる術(職)を国全体の事を考えずして行使し、まる
で何も問題ないかの如く3.11以前と同じ職務を全う
して平然と農作物や畜産物またはそれらに関する
物全て(家畜の餌等)を出荷している。
最早、これ事態が恐ろしく勘違いも甚だしい問題だ
と思わざるを得ない。国の責任だと押し付けて、い
や自分たちに言い聞かせて生産者責任が霞んで
誰も生産者や出荷している個人、企業、組織に対し
て物申さない事実が既におかしいのだ。

震災から4か月が経過してる今、なぜ未だに汚染が
確実だと日本国民全員が当たり前にわかっている、
もしくは汚染されているだろうと容易に感じれる地域
で生産された食物関連のものが全国に出荷されて
いるのか。日本人の情けないくらいの間違った同情心
こそが間違いを起こしている事実を把握するべき。

どう考えても、被災地で生産を続けている方々は絶
体に責任を持って職に取り組むべきです。
結果、出荷したものが全国に流通されそれを食した
国民がその食により、もし何らかの害に侵された場
合は、それはやはり生産者の責任が1番重いと感じ
ざるを得ません。当然、国や地方行政機関の責任も
あるでしょうが、結果そうなったとき自分が良ければ
良いという人間となんら変わりはありません。

冷酷に感じるかもしれないけどそうじゃない。
水掛け論を展開している場合じゃない。
責任の擦り付け合いをしている場合じゃない。
割り切るべきことは割り切らなければダメなんだよ。
それが今なのか数日後、数か月後、数年後なのか。
結果は今でも数年後でもいずれは同じ答えに行き着
くとすれば今すぐにその答えに行き着くことが大切。
時すでに遅しだとしても、これ以上の負の拡大を抑え
るには今からでも遅くはない。

心苦しいが冷酷になってこの国と被災地、被災者の
未来を導かなければならない使命が日本国民には
あるのではないでしょうか?