2011年7月22日

適当すぎる人間の行く末は…

どうなってしまうのか。
そもそも何が適当で何が適当でないのか。
さも適当がダメだと言うと、ではお前は完璧かと言い返す
屁理屈論者が居るが抑々ここで言う適当とはそういうことではない。

なんでもかんでも適当がダメかというと、そうでもないことは多々有る。
そんなことは一般的に育ち普通に過ごしてきた者であれば誰しも理解
していることであるし、それは何か?とこんなとこで例を出すまでもない。

ただ、物事には順序というものがある。

しかしこの順序というものが分からない人も実際居るのだ。
順序は規律にも似ているところがあり、これを乱せば当然不愉快な
思いをする人が必ず出てくる。この不愉快という感情は至極当然な
反応であり、一般的に言う所謂「常識」というやつだ。

大抵このての順序や規律といった当たり前の常識を平気で疎かにする
人ってのは何かに生き急いでるというか一発逆転的な発想しか持ち合
わせていない、自分の力量を過信し経験も無いのに自信に満ち溢れ、
平気で人を無情にも見下し、実は自分自身を自分で何も分っていない
哀れな人が殆どだ。

だが逆転して良く捉えられる部分もあったりする。
ではどんなところが良いところかってのはここで書くことはしない。

形式的なものにだけ満足するならば勝手に満足していればいい。
しかしそんなことにだけ満足していれば他人に蓋を開けられたとき失う
ものは多くあるだろう。

人というのは、毅然とした行動、思いやり、言動で判断することが殆どだ。
確かにビジネスとしては結果というものが無ければ評価もされないという
ことはあるだろう。しかしビジネスもプライベートでも何をするにあっても
全てにおいて基本は人間であるということが大前提。

人間力の無い、色も味も無い人間に同じ人は魅力を感じるかわけが無い。
少なくとも俺は感じない。

小さなことでも長くそれで過ごしてしまえば・・・まさに塵も積もれば山となる。

適当すぎる人間の行く末は、周囲から大切な人達が1人2人といずれ消え
ていってしまい気付いた時には1人になって本当の哀しみを味わうだろう。

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